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福岡地方裁判所 昭和45年(行ウ)49号 判決

原告

山下満子

右訴訟代理人

谷川宮太郎

外二名

被告

立花町長

中尾順蔵

右訴訟代理人

苑田美穀

外四名

主文

被告が原告に対し、昭和四五年九月三〇日付をもつてした免職処分はこれを取消す。

訴訟費用は、被告の負担とする。

事実《省略》

理由

第一、原告が昭和四五年四月一日任命権者である被告から立花町職員として条件附で採用され、以来同町第五保育所に保母として勤務していたところ、条件附採用期間の最終日にあたる同年九月三〇日付で、被告から条件附採用規則第六条に基づき免職処分に付されたことは当事者間に争いがない。

第二、本件免職処分の適否

先ず条件附採用制度の意義及び条件附採用期間中の職員の身分保障について争いがあるので、この点について検討する。

一、条件附採用制度の意義

1  条件附採用制度について、条件附採用規則第一条は、「新に職員を採用する場合は、条件附のものとし、この規則の定めるところにより、一定の期間(原則として六か月間―同規則第三条第一項)、これに対し厳格な勤務成績の評定を行ない、その期間を良好な成績で終了した場合に正式な採用を確定するものとする。」と定めている。また地方公務員の任用制度については、地公法は任用の根本基準として、職員の任用は能力の実証に基づいて行なう成績主義の原則を掲げ(同法第一五条)、これを受けて職員の採用は競争試験又は選考の方法によるべきことを規定している(同法第一七条第三項、第四項)。しかしながら、現在の段階では、競争試験又は選考の方法によつて採用された者であつても、必ずしも職務遂行能力を有し、職員として必要な適格性を保持しているとは保障し難い。そこで、職員の採否について、同法第二二条第一項は「……職員の採用は、すべて条件附のものとし、その職員がその職において六月を勤務し、その間その職務を良好な成績で遂行したときに正式採用になるものとする。」と定め、条件附採用規則第四条は「条件附採用期間中の職員の勤務成績が良好であると町長が認めたときは、その期間終了の日において正式に採用するものとする。」旨、また同規則第五条第一項は「条件附採用期間の職員の勤務成績が良好でないと町長が認めたときは、正式に採用しないものとする。」旨それぞれ規定している。すなわち、条件附採用制度は、競争試験又は選考の方法によつて採用された職員が、その職における職務遂行能力を有する適格者であるかどうかを条件附採用期間中の勤務成績など(前記地公法第二二条第一項及び条件附採用規則第四条は職務遂行能力など正式職員としての適格性を判定するのに、条件附期間中の勤務成績から判定すべきものとしているので、一見勤務成績以外の要素は右判定の資料に用いてならないように解されないではない。しかし、条件附職員にも適用される前記地公法第一五条ならびに国公法第五九条第一項の内容を明らかにしている後記人事院規則一一―四第九条からも明らかなように、勤務成績以外に心身の状態その他適格性を判定するのに不可欠の要素を考慮に入れることは、地公法および条件附採用規則の解釈上も当然に許されるものと解される。なおこのことは、地公法第二八条が正式職員について勤務成績が良くない場合、心身の故障のため職務の遂行に支障がある等その職に必要な適格性を欠く場合には分限処分を受ける旨規定していることよりしても容易に理解し得るところである。)から判定して、職員として正式採用すべきか否かを決定する職員の採用手続の最終段階の選択方法として採られている制度であり、任命権者に職員の職務遂行能力を判定させる機会を与えることにより、競争試験又は選考に伴う技術的欠陥を補完し、不適格者を排除し、成績主義の原則の完璧を期そうとするものである。この意味で条件附職員は、条件附採用期間中はまだ職員として正式採用されるまでの選択過程の途上にあるということができ、しかも、地公法第二九条の二第一項は、条件附職員の分限につき、正式職員の分限上の身分保障に関する同法第二七条第二項、第二八条第一ないし第三項並びに不利益処分に関する不服申立を認めた規定の適用を排除し、正式職員と明確に区別していることを合わせ考えると、条件附採用期間中の労働関係は、条件附採用制度の趣旨により、その目的が限定された特殊な労働関係であり、それは、条件附採用期間中その勤務を良好な成績で遂行し、その職務に必要な適格性を有することを正式採用の停止条件とする暫定的な地位にあるものと解するのが相当である。

2(一)  ところで、原告は、まず条件附採用制度について、地公法及び条件附採用規則はもとより、地公法と軌を一にする国公法も適格性の判断に関する客観的、合理的な基準を明示せず、かえつて人事院規則一一―四第九条が不適格事由を具体的に定めていることからして、ここにいう条件とは停止条件ではなく、不適格事由による解雇権が留保されていることを意味しているものであると主張する。しかしながら、国公法第五九条第一項が適格者を正式採用する側面から「一般職に属するすべての官職に対する職員の採用又は昇任は、すべて条件附のものとし、その職員が、その官職において六月を下らない期間を勤務し、その間その職務を良好な成績で遂行したときに、正式のものとなるものとする。」と規定したのに対し、人事院規則一一―四第九条は不適格者を排除する側面から「条件附採用期間中の職員は、法(国公法)第七八条第四号に掲げる事由に該当する場合又は勤務実績の不良なこと、心身に故障があることその他の事実に基づいてその官職に引き続き任用しておくことが適当でないと認める場合には、何時でも降任させ、又は免職することができる。」と規定し、やや具体的に不適格事由を定めているが、これらはいずれも条件附職員が上記のように正式採用前の選択過程にある者で、まだ正式職員としての適格性を認められていないことを両方の面から捕えただけのことであつて、人事院規則の前記規定が存することをもつて、前述した条件附採用制度の意義が変更されるべきものとは解されない。

(二)  また、原告は、条件附採用期間中と、正式採用後の労務提供になんら異なるところがなく、試験の手段としての労務提供という性格は極めて希薄化され、労務の給付自体が主眼となつているので、条件附採用制度の意義も、実態に即して変更せらるべきであると主張する。しかしながら、条件附採用期間中はその職員に正式職員とは異なつた試験のための特別の職務を与えなければならないとの規定は存しないのみか、かえつてその職務に必要な適格性の有無は、正式職員と同様の職務をしているときに最もよく判断されるものであるから、条件附職員の職務の内容が正式職員と同様のものであることは、条件附採用における条件を停止条件と解することと矛盾するものではなく、条件附採用制度の趣旨に反するものともいい得ない。

(三)  次に、正式採用となる前後を通じて、賃金などの面において、取扱い上の差異のないことは原告主張のとおりであるが、かかる取扱い上の差異のないことをもつて、直ちに原告の前記主張を裏付けるものと解することもできない。

(四)  なお、原告は、その他いくつかの論拠をあげ、条件附採用期間の労働関係は停止条件附ではなく、当初から期間の定めのない労働契約であつて、ただ六か月の条件附採用期間中は不適格事由による解雇権の留保された特別の労働関係と解すべきであると強調するが、いずれも右主張を裏付けるに十分なものではなく、結局右主張は採用するに由ない。

二、条件附採用期間中の職員の身分保障について

条件附職員についても、それがまだ正式職員としての適格性を認められていないとしても、競争試験又は選考を経て採用されたものである以上、それ相応の合理的な身分保障が与えられなければならず、そのためには、任免権者の有する裁量権の範囲を解釈するに当つても身分保障の観点から十分留意されなければならない。そうでなければ、地公法が条件附職員からも正式職員と同様に団体交渉権及び争議権を剥奪していることに対する代償措置を欠くことになり、ひいては憲法第二八条に違反することにもなりかねないからである。

原告は条件附採用規則の適用についても、条件附職員に対する身分保障の見地から同規則第六条にいう不適格事由は客観的、合理的に認定されなければならない旨主張するに対し、被告は任命権者の自由裁量に属すると争うので、この点について考察する。

思うに、使用者が何人を雇用(採用)するかは本来自由に決しうるところであつて、条件附職員はまだ選択過程の途上にあるものであり、正式に採用された職員ではないのであるから、任命権者が条件附職員の勤務成績が良好でなく、正式職員を採用するに必要な適格性を欠くと判定する場合には、条件附採用期間の終了前にその職員を免職すべきであるが、たとえ免職という形式をとるにせよ、右処分は採用の自由の射程内に属する要素をもつていることは否定できないところである。しかしながら、地方公務員の採用については、前記のごとく単に競争試験又は選考の段階においても、地公法第一五条が職員の採用はあくまでその者の受験成績、勤務成績その他の能力の実証に基づいて行なわれるべき旨の成績主義の原則を掲げていることに照らし、私企業における場合と異なり、人事の公正が特に要請される点において、使用者の採用の自由がすでに修正されているとみられるのみならず、条件附職員は競争試験又は選考の段階を経て次の選択過程に進んでいるのであるから、それに相応する身分保障をなすことは、必らずしも条件附採用制度の本質に反するものではない。むしろ、条件附職員の分限処分についても地公法第一三条の平等取扱いの原則及び同法第二七条第一項の分限の根本基準の適用があるうえ、条件附採用制度は、もともと職員としての不適格者を排除して成績主義の原則の完璧を期そうとするものであるから、その目的を達するための客観的、合理的な必要性を越えて条件附職員が分限されてはならないとの制度上の制約が内在するのは当然である。そして、条件附職員といえども正式採用されることへの期待権を有するとともに、現に一定の給与を受ける権利などを有するのであるから、これらの権利を剥奪する分限処分には、その職に引き続き任用しておくことを不適当とする合理的な理由が必要であるといわなければならない。しかして、前記条件附採用規則に基づく分限処分は、任命権者にある程度の裁量権が与えられている(しかも条件附職員は前述のように選択過程の途上にあるものであるから、正式職員に対する分限処分の場合に比し、不適格事由の裁量についてより弾力性を認むべきである。)ことは否定できないけれども、純然たる自由裁量に属するものと解すべきではなく、それは条件附採用制度に即した一定の客観的、合理的基準に適合するものでなければならないと解するのが相当である。したがつて、右処分は覊束裁量に属するものと解すべきである。

以上の見地に立つて本件免職処分の適否について判断する。

三、本件免職処分事由に対する判断

(一)  勤務成績が良好であるか否かについて

1 原告の経歴とその勤務先等

(1) 〈証拠〉を総合すると、原告は昭和四四年三月福岡市所在の香蘭女子短期大学保育科を卒業し、その後一年間、久留米市内の私立津福保育園に保母として勤務していたが、立花町総務課長補佐平島信市が、昭和四五年三月初旬、原告の父山下寿が勤務している八女市役所に総務課人事係長大籠敬次を訪ね、同係長に対し、新しく立花町辺春に保育所を開設するが、応募者が少ないので、誰か適当な人を紹介して欲しい旨依頼したところ、同係長が、同席していた山下寿に「あなたのお子さんが八女市の保母の募集試験を受けており、成績優秀だから、そちらを受けたらどうですか。」と勧めたことから、原告は立花町の保育所の方が通勤に便利であり、公立で給与面もよいということで、同月中旬同町保母の採用試験を受け、同月末の健康診断も無事通過して、前記のとおり、同年四月一日附で被告から同町職員として条件附で採用されたことが認められる。

(2) また〈証拠〉を総合すると、原告は昭和四五年四月二日から立花町第五保育所に保母として勤務し、同保育所は定員六〇名で、そのうち三才未満児四名を浅田直子、年中児一九名(三才児四名、四才児一五名)を原告、年長児三八名(就学前五才児)を馬場早智子同保育所長(以下「馬場所長」という。)と黒木照仁主任保母が交代でそれぞれ担当することになつたが、右のごとく原告が同保育所で年中児を担当することになつたのは、同保育所は開設されたばかりであり、原告は津福保育園時代年中児(三、四才児)を担当していたことから、その経験を買われたためであること、第五保育所の勤務時間は午前八時半から午後五時まで(ただし、土曜日は午後一時半まで)であり、出勤簿は原則として朝出勤時に各自印鑑を押捺し、業務日詩は馬場所長と黒木主任保母が交代でつけていたこと、がそれぞれ認められ、他に右認定を左右するに足りる証拠はない。

2 竹島課長の勤務評定

〈証拠〉を総合すると、立花町の保育所に所属する職員は厚生課長がこれを監督し、条件附職員である保母の勤務成績の評定は、勤務評定に関する規程(乙第五号証)第二条により監督者である厚生課長がこれを行なうこととなつていること、そして原告が条件附職員に採用された当時の厚生課長は竹島保(以下「竹島課長」という。)であつたこと、がそれぞれ認められる。

(1) 原告の勤務状態の観察調査

被告は、竹島課長が原告の勤務ぶりを観察調査し、厳正公平に評価した旨主張するので、この点について検討する。

証人竹島保はその証言において、昭和四五年四月一日から同年九月三〇日までの間に第五保育所を一〇回にわたつて訪問し、その都度原告の勤務状態を観察した旨供述し、同証人の証言により成立を認める乙第一四号証(竹島保作成の陳述書)にもそれに沿う記載があるが、これらは以下認定のとおり、次の(イ)認定の訪問の事実を除きにわかに信用することができない。

(イ) 〈証拠〉を総合すると、竹島課長が第五保育所を、昭和四五年七月二日井戸水の件で訪ね、また同年九月一一日同保育所の条件附職員たる保母の原告と給食婦の野中誠子の勤務評定のため馬場所長の意見をきくべく訪れたことがあるが、その際、同保育所内を巡視して保母の保育ぶりをつぶさに観察したこともなく、またこれまで一度も原告と面談したこともないことがそれぞれ認められる。

(ロ) また〈証拠〉中には、竹島課長は同年四月九日第五保育所の入所式に町長代理として参列した旨の供述、記載があるが、これらは下記証拠に対比してにわかに信用し難く、かえつて〈証拠〉によると、同日第五保育所の開所式に出席したのは被告自身であることが認められ、また〈証拠〉(第四保育所業務日誌)によれば竹島課長は同日第四保育所の入所式に町長代理として参列していることが認められ、他に右認定を覆えすに足りる証拠はない。

(ハ) 次に〈証拠〉中には、竹島課長は同年四月二一日第五保育所を門標のことで訪問した旨の供述、記載があるが、これらは〈証拠〉に照してにわかに信用し難く、かえつて、〈証拠〉によれば、その頃門標のことで第五保育所を訪問したのは被告であることが窺われ、他に同課長がその頃門標のことで第五保育所を訪問した事実を認めるに足りる証拠はない。

(ニ) さらに、〈証拠〉中には、竹島課長は同年五月七日第五保育所をテレビのことで訪問した旨の供述、記載があるが、これら〈証拠〉に対比してにわかに信用し難く、かえつて〈証拠〉によると、その頃テレビのことで第五保育所を訪問したのは被告であることが窺われ、他に同課長がその頃テレビのことで第五保育所を訪問した事実を認めしめる証拠はない。

そのほか、〈証拠〉に供述、記載のその余の五回にわたる第五保育所訪問の事実も〈証拠〉に照らしてにわかに措信しがたく、また〈証拠〉によれば右(イ)認定の時も竹島課長の滞在時間は七月二日において一〇分ないし二〇分、また九月一一日においても僅か一五分程度であつたことが認められ、証人竹島保の証言中右認定に反する部分は信用することができない。

以上のとおりだとすると、竹島課長の僅か二回の、しかも他に目的をもつての極く短時間の訪問によつては、原告の勤務ぶりを十分に観察調査することは、とうてい不可能であつたといわなければならない。

(2) 原告の勤務成績

まず、勤務評定に関する規程第三条第一項によれば、監督者は職員が条件附採用の日から三か月及び五か月を経過したときは、その職員のその時までの第一次及び第二次の勤務成績を評定し、所定の様式の評定表を調製のうえ、町長に報告しなければならないことになつているが、〈証拠〉によると、監督者たる竹島課長は、右規定に基づき、原告の勤務成績について、同年六月三〇日第一次の、同年九月一一日ごろ第二次の各評定を行ない、それぞれ評定表を調製のうえ被告に報告していることが認められるので、以下この点について検討する。

(イ) 前掲乙第六号証(原告の第一次評定表)によれば、竹島課長は昭和四五年六月三〇日付をもつて、同年四月一日から同年六月三〇日までの原告の勤務成績について、以下の二〇項目について、六段階評価方式で(イ)程度が非常に高いならば五点、(ロ)程度がやや高いならば四点、(ハ)程度が普通ならば三点、(ニ)程度がやや低いならば二点、(ホ)程度が低いならば一点、(ヘ)程度が非常に低いならば〇点、として次のごとく評定していることが認められる。

すなわち、注意力(仕事の細部まで注意が行きわたり、細かい点も見落すことはないか)三点、理解力(与えられた仕事をよく理解し、適切な処置ができるか)三点、応用力(仕事の処理に応用がきき、工夫して仕事を片付けることができるか)二点、確実性(仕事を確実に間違いなく処理ができ、又は間違いの発見ができるか)三点、表現力(言葉又は文書によつて充分に意思表示ができるか)三点、速度(仕事を満足に早く仕上げられるか)三点、忍耐力(苦難に負けず仕事をやりとげる粘り強さがあるか)二点、信頼性(責任観念が強く安心して仕事をまかせられるか)三点、規律(秩序を重んじ規律を遵守しているか)三点、服従性(不平をいわず快く上司の命に従うか)三点、勤勉(仕事に対してまじめであり、理由なく休んだり、早退、遅刻をしないし、勝手に席を離れたり雑談にふけつたりすることはないか)三点、整頓(書類や物品等の整理整頓が行き届き几帳面であるか)三点、積極性(仕事に熱心で、自ら工夫研究をこらし、進んで仕事を引き受け実行して行く能力があるか)三点、機智(とつさの場合に頭が働くか、臨機の処置がとれるか)二点、身体(仕事をやるうえに身体上の欠陥や不適当な点はないか)二点、応待力(他人と面談し、これと応待する能力があるか)三点、素養(仕事に対する技能、知識及び体験があるか)三点、気分の恒常(気分に支配されず、いつも和やかに仕事ができるか)三点、把握力(仕事の全ぼうをつかんで全部に注意が行きとどくか)三点、協調性(同僚と協調する能力があるか)三点、総合得点五六点と評定し、評定期間中、勤務すべき日数七六日、欠勤した日数〇日、勤務した実日数七五日、休暇を受けた日数一日、早退、遅刻した日数〇日と判定している。

(ロ) 〈証拠〉によれば、竹島課長は同年六月三〇日前記のごとく原告の勤務成績を被告に報告するため第一次評定表を作成したが、その作成に当たつて原告の勤務している第五保育所の馬場所長の意見を聞いていないことが認められる。

(ハ) また、〈証拠〉の第二次評定表によれば、竹島課長は同年九月一一日ごろ同年四月一日から同年九月一〇日までの原告の勤務成績について二〇項目について前記の六段階評価方式で次のごとく評定し、意見を附していることが認められる。

すなわち、注意力三点、理解力三点、応用力三点、確実性三点、表現力三点、速度三点、忍耐力三点、信頼性三点、規律三点、服従性三点、勤勉三点、整頓三点、積極性四点、機智三点、身体二点、応待力三点、素養三点、気分の恒常二点、把握力三点、協調性三点、総合得点五八点と評定し、評定期間中、勤務すべき日数一三八日、欠勤した日数〇日、勤務した実日数一二九日、休暇を受けた日数七日と判定し、さらに監督者として正式採用について「総合点数のごとく成績は良好でなく採用には検討の要あり」と意見を附している。

(ニ) 前掲証人竹島保はその証言において、原告の評定をなすについて、(イ)真面目に仕事をするか、(ロ)健康で活発であるか、(ハ)児童について愛情をもつて仕事に当たるか、(ニ)明るく仕事をしているか、(ホ)考えて創造的に仕事をしているか、(ヘ)忠実な性格をもつているか、を特に注意し、保育所に行つて実際に原告の勤務ぶりを見て評定した旨述べているが、前記認定のとおり、竹島課長が原告の条件附採用期間中に第五保育所を訪問したのは僅か二回に過ぎず、しかもそれは他の目的をもつての訪問で、その際特に原告の保育ぶりを観察した事実もなく、その滞在時間も一〇分から二〇分程度の極く短時間であつたのであるから、原告につき右のような細かな点についてまで仔細に観察調査するいとまはなかつたものというのほかなく、右証言はにわかに措信できない。

(ホ) また〈証拠〉によれば次の事実が認められる。すなわち、竹島課長は前記のごとく昭和四五年九月一一日午前一一時一〇分ごろから二五分までの約一五分間、第五保育所に勤務する条件附職員である保母の原告及び給食婦の野中誠子の勤務評定のため同保育所の馬場所長を訪ね、「現場の人でないと出先のことはわからないから、勤務評定に立会つて貰いたい。」旨申し向けて、同所長の意見を徴したが、その評定をなすについては、同所長に評定表を見せながら「この評定表は五点満点で五点は大変良い、四点はやや高い、三点は普通、二点はやや低い、一点は低い、ということになつている。五点満点をつけると評定した人をまた評定しなければいけないようになるから、そのことをよく考えてするように。」と注意して、二人で話し合いながら評定表の各項目毎に検討し、竹島課長は大体において馬場所長の意見のとおり鉛筆で評定表に点数を記入していつたこと、同所長は、その際前記第二次評定で二点と評定された忍耐力については「原告は五月に足を捻挫したにもかかわらず、ずうつと休むことなく保育に専念しているので、これはもう四点ですよ、普通以上ですよ。」と意見を述べ、同じく二点と評定された身体については「原告はただ足を捻挫したというだけで、別に内部疾患などはなく、ただやせているだけだから、これは普通(三点)でしよう。」と意見を述べ、また同じく二点と評定された気分の恒常についても「保母というのは気分に支配されていつも怒つたり、泣きわめいたり、ヒステリーをおこしたりしていたら、保育は全然できないし、いつも子供たちとなごやかに楽しそうに仕事をすることが私たちの勤めである。」と述べ、原告のそれは四点ないしは五点と評価する旨の意見を述べている。以上の事実が認められ、右認定を左右するに足りる証拠はない。

(ヘ) 次に〈証拠〉によれば、馬場所長の原告に対する前記各項目の評価は、一点、二点はなく、三点が二つ(身体、把握力)で、その他は四点または五点(その総合得点は七五点ないし八〇点位で、普通以上)であり、馬場所長の右評価については竹島課長からなんらの異見も出ておらず、かえつて「今まで勤めてもらつた人には、続けて勤めてもらわなければいけないからね。」などと話しかけられたほどであつたが、とくに馬場所長が原告の把握力を三点と評価したのは、この点についての評価が他の者に比して劣つていたからではなく、勤めて半年ぐらいで全体を瞬間的に把握することは困難なことであり、年数を経た保母でもでき難いことと考えたからであることが認められる。

(ト) さらに〈証拠〉によれば、馬場所長の原告と正式採用になつた同じ保育所の給食婦野中誠子に対する評定には殆んど差はなく、ただ身体の点で三点と五点の差があつたにすぎないことが認められる。

被告は、竹島課長が右第一次、第二次の評定をなすについては、たとえば、(イ)泣いている園児を一人保育室から運動場に出していたこと、(ロ)面識の深い保護者とそうでない保護者とで園児に差別をつけたこと、(ハ)保育室が騒がしかつたこと、等を参酌した旨主張するが、右(イ)・(ロ)の事実については、〈証拠〉に対比してにわかに措信し難い〈証拠〉において、他にこれらを認め得る証拠はなく、かえつて〈証拠〉によれば、原告の担当した三、四才児の保育は人間形成にとつて一番重要な時期であるから、それなりにむずかしいものであり、その中にはなかなか他の児童と接触のできない子供、一日中泣いているような子供、無口で話しかけに応じない子供、泣いて保母に訴えることだけしかできない子供などが多く、そのためいきおい三、四才児の保育室はなかなか統制がとれず騒がしいことも多かつたが、原告はそのような子供一九名を担当して、わずか半年間のうちに、一応集団の中に這入つて仲間と一緒に遊べるまでにしつけ、また一様に話もでき、歌もうたえるように指導し、子供との接触もよかつたので、父兄よりの評判もよく、安心して子供を委されていたこと、しかして、原告は保護者から感謝されていた程で、子供の扱い方について苦情がでたり問題にされたことは一度もなく、また他の職員との間も非常に協調的であつたことが認められるから、竹島課長の右評定は客観的妥当性に乏しく、とうてい勤務評定の本旨にかなうものとはいい得ない。

なおこの点につき、証人竹島保はその証言において、馬場所長の原告に対する評価を一応聞いたものの、同じ職場に勤務している者はどうしても片寄つた見方をして主観的恣意的になりがちであるので、他の条件附職員との公平上、馬場所長の意見は聞きおく程度にした旨述べているが、〈証拠〉によれば、竹島課長は組織機構上原告の監督者とはいつても、第五保育所は町役場と遠く離れており、通常の職場のように身近に職員の勤務ぶりを観察し、監督指導できる状況になかつたし、また事実そのような努力をしていないことが認められるから、かかる場合部下の勤務評定をなすにあたつては、同じ職場の上司である馬場所長らの意見を十分に尊重し、これを参考に供するのが相当である。しかるに、竹島課長は、原告の勤務成績が、同じ保育所の当時条件附職員で、その後正式に採用された給食婦の野中誠子や、当時すでに正式職員であつた保母浅田直子らの勤務成績に比し差があるとも考えられない(この事実は〈証拠〉によつて認められる。)のに、前記のごとく原告の勤務成績は普通以上であるとの馬場所長の意見をあえて排斥し、右野中誠子らに比して悪い及第点(六〇点)以下の評定をなしたことは、竹島課長の偏見ないしは他意によるものといわれても仕方なく、とうてい事実上の根拠に基づく妥当な評定とは解し得ず、本件免職処分の重要な資料とはなし得ない。

以上のとおりであつて、他に原告の勤務成績が良好でないと認めしめる資料は見当たらない。

(二)  職務に必要な適格性を欠くか否かについて

条件付採用制度は前記のごとく不適格者の排除を目的とするものであり、その職務に必要な適格性の有無は勤務成績だけではなく、その者の種々の要素を総合して判断すべき事柄である。

1 原告の出勤状況

〈証拠〉によると、原告は昭和四五年五月二二日その朝鼻血が出たため病気欠勤したほか、同年七月二日知人の葬儀に参列のため、また同月九日足捻挫治療のため早退し、さらに同年九月二五日八女市大字高塚の八女市民病院に左足関節部のレントゲン検査結果を聞きに行き遅刻したこと、そして、このような場合には、あらかじめその旨届出て、保育に支障のないように措置していたことがそれぞれ認められる。

被告は、原告が昭和四五年六月一二日及び同年七月二〇日の両日病院に通院のため勤務時間内に届出なくして職場を離れた旨主張し、〈証拠〉には、原告が右両日以外にも同年七月に二日にわたつて八女市東唐人町の山田内科医院で時間内診療(月曜日から土曜日までの診察時間は午前九時から午後五時まで、日曜日は休診)を受けた旨の記載があるが、〈証拠〉によると、原告は無断で欠勤、早退したことはなく、勤務時間中に通院したこともないこと(右医院までは交通の便が悪く往復一時間半から二時間かかるので、年中児を担当していた原告が勤務時間中に通院することは保育の面で困難であつた。)、また原告は出勤日は午後五時一〇分のバスで帰つていたが、右医院における午後の診察はいつも午後六時ごろまでなされていたので、原告は保育所からの帰途、バスを途中下車して午後六時前に右医院に着き、診療を受けていたことが認められるから、前記証明書の記載は、原告が午後五時以降に診察を受けたのを時間内診療と誤解してなされたものと窺われ、他に被告の右主張事実を肯認し得る証拠はないから、被告の右主張は採用することができない。

2 原告の通院状況と保育への影響

〈証拠〉によれば、原告は昭和四五年五月一〇日北山公園における青年団のリーダー研修会においてころんで足を捻挫し、当初は勤務先近くの石本医院に通院していたが、経過がおもわしくないので、転々と病院を替えていたところ、薬の副作用で湿疹が出たり、頭がふらついたりして、その治療のためにも病院を替え通院していたことが認められる。また〈証拠〉によれば、原告は同年五月から同年九月までの間に九か所の病院に相当回数にわたり左足関節捻挫等の病名で通院していることが認められる。

しかしながら、〈証拠〉によれば、原告は立花町に条件附職員として採用されるに際し、医師の健康診断を受けたが、そのときはなんら異常はなく、前記のごとく同年五月一〇日に足を捻挫してから体調をくずし、早期に正常な状態に復したい一心から転々と病院を替え治療に努めたことが認められるが、〈証拠〉によると、原告の症状は通常の勤務に耐え得るものであり、保母としての職務の遂行には支障はなかつたことが認められ、また原告の前記症状のために児童の保育に悪影響を与えたと認めしめる証拠もない。

3 その他

ほかに、原告が保母としての職務に必要な適格性を欠くと認めるに足りる資料は見当たらない。

(三)  被告の不採用の判定に対する疑問

被告はその本人尋問において、原告の適格性を判断するについては、竹島課長の第一次及び第二次の勤務評定の評定表による報告と、原告は病弱で通院が多い旨の口頭による臨時的報告をもとに、被告なりに調査した結果、原告は(イ)監督者が実施した勤務成績の評定が悪く、(ロ)病弱であるうえ、(ハ)礼儀を欠いていることを理由に不適格と判断した旨述べているが、(イ)の被告が信頼した竹島課長の原告に対する勤務成績の評定は、前記のとおり事実上の根拠に基づくものではなく、客観的妥当性を欠くものであり、また(ロ)の原告が病弱であるとの理由も、前記のごとく原告の症状は通常の勤務に堪え得るものであり、保母としての職務の遂行に支障を来したこともなく、また児童の保育に悪影響を与えた事実も認められないから、病弱即不適格と判断することは早計であつて合理性妥当性に乏しいものといわねばならない。なお(ハ)の原告が礼儀を欠いているとの点も、〈証拠〉によれば、原告が治療に通院していた病院で、先順位の患者がいるにもかかわらず、黙つて先に治療し、挨拶もなしに帰つたということで、地域住民のひんしゆくを買つているということを、被告が四、五名の者から聞いたことが窺われるが、〈証拠〉によれば、原告は足の捻挫治療のため黒木主任保母の知合いである第五保育所近くの石本医院に勤務時間に間に合うように朝早く通院し、同主任保母の口添えで、遅刻して保育に支障をきたさないように、特に医師に依頼して、先順位の患者より先に診察してもらつていたもので、その時も黙つて帰るようなことはなく、失礼のないように挨拶をして帰つていたことが認められるから、前記住民のひんしゆくは原告の右特殊事情を理解しないもので、当を得たものということはできず、他に原告が住民に対して礼を失した事実を認め得る証拠はないから、右の事実のみをもつて、原告に礼儀に欠けるところがあると極めつけるのは酷であるといわねばならない。

そうだとすると、被告が不適格と判断した理由のうち、勤務成績の点は客観的妥当性を欠くもので、本件免職処分の重要な資料とはなし得ないものであり、またその余の部分も保母としての不適格性を首肯させるには程遠いものである。

四結論

以上のとおりであつて、原告については、原告が条件附職員であることを考慮しても、なお、保母としての適格性を欠いているものと判断することはできず、被告が原告に対し条件附採用規則第六条に基づいてなした本件免職処分は、結局前述した裁量基準を逸脱したものと解せざるを得ず、同条の適用を誤つたものとして違法たるを免れない。

第三不利益取扱(不当労働行為)の成否

原告は、本件免職処分は町職労の自治労加入及びその後の活動を嫌悪していた被告が、町職労の組織破壊の意図をもつて、原告が町職労の構成員であること、仮にしからずとするも、原告が町職労に加入しようとしたことを理由としてなしたものである旨主張するので、この点について検討する。

(一)  〈証拠〉を総合すると、次の事実が認められる。

1  原告は昭和四五年四月立花町に条件附職員として採用され、同年五月町職労に加入したが、町職労が昭和四四年一二月自治労に加入して以後は、町当局と町職労との対立関係が表面化し、町職労は原告の右加入当時も女子職員の結婚退職問題(従来立花町役場においては、女子職員が結婚した場合には退職する慣行があつた。)に取り組んでおり、婦人部が中心となつて町当局に右慣行の打破を激しく迫つていたが、同年七月二四日には町助役から「今後結婚を理由に強制的に退職させることのないよう町長に進言する。」旨の一札(甲第一三号証)を取りつけた。

2  また町職労は同年六月六日ごろから夏期一時金を要求して被告に団体交渉を申し入れたが、同年七月一三日、被告の選挙母体である町政推進協議会と称する地域住民約一〇〇名が団交会場に押しかけ、組合に対して圧力をかけたことから、翌一四日自治労は県本部の闘争本部を立花町に置いて交渉を行ない、同月二七日実施された町当局と自治労県本部の委員長とのトップ会談において、一・六か月分プラス一律三、〇〇〇円を盆前に支給することで解決したが、同年八月一四日になつても夏期手当議案が町議会を通過せず、夏期手当の支給がなされないため、町職労は町当局と交渉し、労働金庫から中尾順蔵の個人保証で金一四五万円を借りて全職員に夏期手当相当額を支給した(もつとも、そのうち当時町職労から脱退していた橋本広人ら約三〇名は町職労からの受給を嫌い、別途に中尾順蔵の個人保証で夏期手当相当額を福岡銀行から借り受けた。)。

3  これより先の同年八月七日、組合員の野中末弘、高橋九州男および坂田繁の三名が町職労から脱退したのをはじめとして、同月一四日にかけて、町職労組合員約一五〇名のうち同年四月採用の条件附職員一八名を含む三、四〇名が町職労から脱退した。

条件附職員は右のごとく多数が脱退し、原告ら九名を残すのみとなつたが、当時条件附職員は組合を脱退しないと本採用にならないとの噂がまことしやかに流れたので、町職労としては条件附職員の身分の保全をはかるための戦術として、正式採用になつたら再加入してもらうことを条件に、原告ら九名に町職労からの脱退を勧告し、八月一四日原告ら九名は全員町職労を脱退したが、原告は正式採用になれば町職労に再加入するつもりであつた。

4  このように八月七日以降多数の町職労脱退者が出たが、脱退者の間で、第二組合的性格を有する親和会結成の動きが見られ、同月二二日に前記橋本広人が中心となつて親和会組織の集会がもたれ、また、同年九月五日には町長や課長らが来賓として出席して親和会(当時の会員は五一名)の発会式が催されたが、席上被告は「諸君らは勇気ある行動をとつた」旨の挨拶をして会員を激励した。

なお親和会規約には、その目的として、会員の労働条件の維持改善その他社会的経済的地位の向上を掲げ、被告も町職労と同等に親和会との団体交渉に応じている。

5  原告は、同年九月四日に、当時親和会組織の役員であつた第一保育所の所長牛島睦子から同会主催の光友公民館での懇談会への出席を勧誘され、また同月一一日には当時親和会の三役であつた一ノ瀬昭一から同会主催のぶどう狩りへの参加を勧誘され、さらに同月一六日には同人及び当時条件附職員(保母)で親和会員であつた今井千波から同会主催の八女市内の料亭桃園での懇談会への出席を勧誘され、同会への加入を勧められたが、原告はいずれもこれを断つた。

6  さらに、同月二二日、原告は正式職員選考のことで被告の面接を受けたが、その際、被告は殆んど組合関係のことのみを尋ね、原告に対し「組合活動をどう思うか。条件附職員は組合に加入してはいけない。ビラ張りはしたか。腕章はつけたか。君はこそこそしているつもりだろうが、どこで誰が見ているか分らない。他人の言うままにあつちにふらふらこつちにふらふらしていても責任は自分にくるんだ。保育の面ではすぐれていても人格面では落ちる人がいる。六か月経つたからといつて、このまま当然に正式採用になるのではない。組合員になるのは保母になるのと同様、勉強してからならなければならない。お父さんに聞いてみなさい。」などと申し向けた。

7  原告の父山下寿は原告から右面接の情況を聞き、被告に原告に対する誤解があるものと考え、同月二七日被告を訪ねて面談したが、その際、被告は原告の父に対し「原告は組合に這入りこみよる。これについてはちやんと情報が這入つている。原告は今は組合を脱退しているが、後日また加入するという一札を入れている。」旨憤然とした口調で申し向け、原告の父の「それは何かの誤解ではないか。」との答えに耳を傾けることなく、「今後は保育所を手入れして行かねばならない」旨附言した。

8  そして、原告は、同月三〇日午後三時一五分ころ、平島総務課長補佐から被告の「条件附採用規則第六条により退職を命ずる」との人事異動通知書を受け取つたが、同日条件附職員のうち正式採用にならなかつた者は、前記桃園の会合に出席しなかつた原告と橋本美代子のみであつた。

以上の事実が認められ、〈証拠判断省略〉。

(二)  以上認定のような諸事情、ことに被告の言動、たとえば町職労との対立抗争が続くなかで、親和会に好意的な態度で臨み、原告及び原告の父と面談した際には殆んど組合関係のことのみを話し、暗に原告の町職労再加入の意図を非難している事実等にかんがみ、また、すでに認定したように被告の原告に対する本件免職処分は正当な処分理由を欠くものであることを合わせ考えば、原告の真の処分理由は、被告において、原告が町職労脱退後も町職労を支持していることを知るや、これを嫌悪するとともに、原告を正式に採用すれば、必ず町職労に再加入するものと判断し、原告を免職処分に付することによつて、少しでも町職労の組織及び活動に打撃を与えたいとの被告の反組合的意図にあつたものと認めるのが相当であるから、本件免職処分は地公法第五六条の不利益取扱(不当労働行為)として無効であり、その取消を免れないものといわなければならない。

第四、結論

よつて、本訴請求は理由があるからこれを認容し、訴訟費用の負担につき民事訴訟法第八九条を適用し、主文のとおり判決する。

(鍬守正一 宇佐美隆男 佐藤學)

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